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リーマンショックでどこに行っても「仕事はない」と…

2009年、先代(父)が亡くなり、社長に就任しました。

ちょうどリーマンショック後で、就任したばかりのときはまだ受注している仕事があったので影響はありませんでした。

ところが、徐々に受注が減り、どの取引先に行っても「仕事がない」と言われました。みるみるうちに売上も減り、半分くらいまで減っていました。

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母親からは「売上がない。何とかならないの?」と言われ…。
でも、どこに行っても仕事をもらえなくて、途方に暮れました。

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営業活動をしつつ、人脈作りに励む日々

社長に就任したときは30代前半ということもあり、何をしたらいいのかわかりませんでした。

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できることといえば、当時の取引先を頼って仕事をもらえるようにお願いすることくらいでした。
でも、取引先も同じ状況だったのでどうしようもありませんでした。

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それ以外に思いつくことといったら人脈を作ること
営業活動をしながら、京セラの創業者である稲盛和夫さんが立ち上げた盛和塾や、青年会議所などの経営者団体に入りました。

商工会議所、納税協会、神戸市機械金属工業会など、とにかく様々なものに入りましたね。

「誰にも負けない努力をする」という稲盛さんの言葉に刺激を受け…

盛和塾では年に1、2回ほど稲盛和夫さんの講話を聞く機会がありました。

稲盛さんといえば、経営破綻したJALをわずか1年でV字回復させた、まさに経営の神様です。

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その稲盛さんは講和のなかで「誰にも負けない努力」という言葉を度々発しました。その言葉を聞いて、「不景気だから仕方ない」「みんな同じ状況だから」と半ばあきらめかけていた自分に気が付きました。

「誰にも負けない努力をしているか?」
「いや、まったくできていない…」

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それからというもの、思いつくことは全部行動に移すと決意しました。

徐々に仕事も増え、社長としての自信も

思いつく限りのことを実行に移しましたが、なかなか結果には結びつきませんでした。

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でも、町工場ですから営業できるのは私しかいません。
もしここで私が諦めてしまったら、社員全員が路頭に迷うことになります。

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だから結果に結びつかなくても、とにかく営業活動を続けました。

断わられながらも、何度も何度も訪問しているうちに、ポツポツと仕事を受注するようになりました。

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社長に就任して、ようやく光が見えたというか、社長としての自信もようやくつきましたね。

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同じことばかりしていたらダメ。日々改善。

仕事を受注できない時期が多かったということもあり、久しぶりの新規受注は本当に嬉しかったですね。
だからお客様の期待以上にいいものを作ろうって社員みんなで意気込みました。

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いつもそういう気持ちで仕事に励まないといけなんですけどね。
当たり前なんだけどつい忘れてしまう。

だったら経営理念にして、いつでも社員と共有できるようにしようと思い、今の経営理念「“お客様の期待を超える製品”を提供するために、常に丁寧な仕事を心がけ、常に新しいことに挑戦する」が生まれました。

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いい製品を作ることは当たり前。さらに社員にとって居心地のいい会社にしたい

私たちが手掛けるものは、日常生活に不可欠なものに使われる部品です。だから“いい製品”であること、“安全な製品”であることは当たり前です。

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その一方で、製造業はどうしても“きつい”というイメージを持たれます。

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だから、せめて今働いている社員にとって居心地のいい会社にしたい。
そう思って事務所をリニューアルしたり、労働時間を工夫して週休2日制にしたり、ただいま改善中です。

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ものをつくるのが楽しい。純粋にそう思える人に来て欲しい

最近は適性という言葉をよく聞きますが、うちの会社では適性にこだわりません。

会社としては“いい製品”を作りたい。そのためにこれまで積み上げてきた技術を惜しみなく伝えます。
言われたことをきっちりできるようになるまでは見習いです(もちろん正社員ですし、給料が安くなる訳ではありません)。

だから最初は大変かもしれません。
でも素直さがあればまったく問題なく乗り越えらえると思います。

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やがて自分の手で製品が出来上がっていくのを見て「楽しい」と思えるなら、きっとこの仕事が好きなんだと思います。そういう人に是非来て欲しいですね。

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